生活保護を申請するか3か月悩んだ理由|19歳の自分を救った選択

初めての就職先を辞めてから、2か月が経過していました。
貯金は目に見えて減り、残金も底が見え始めていました。

以前からうつ状態の治療を受けていたこともあり、
「次の仕事を探そう」と思っても、頭も体もまったくついてきません。
外から見れば、生活保護を検討してもおかしくない状況だったと思います。
それでも当時の私は、その選択肢を前にして、どうしても一歩を踏み出せずにいました。


生活保護を申請できる状況だった|収入が途絶え、生活が限界だった

収入は完全に途絶え、毎月決まって出ていく生活費だけが減っていく状態でした。
家賃や光熱費、最低限の支払いを考えると、
このまま何もしなければ、確実に行き詰まることは分かっていました。

ネットで条件を調べると、
自分は制度の対象に含まれる可能性が高いことも分かりました。
それでも「申請しよう」とは、なぜか思えませんでした。


うつ状態で働けなかった|頭も体も思うように動かなかった日々

以前から、うつ状態の治療のためにメンタルクリニックには通っていました。
月に一度の診察を受けながら、なんとか日常を保っている状態です。

ただ、頭も体も思うようには動きません。
「動かなければ」と思うほど、余計に何もできなくなる。
そんな感覚が続いていました。

生活費を少しでも稼ごうと、スポットバイトに出たこともあります。
けれど、たった1日働いただけで、疲労が一気に押し寄せました。
その後は1週間ほど、ほとんど何もできなくなってしまいます。

この状態で、継続的に働くのは現実的ではありませんでした。


実家にも頼れず孤立していた|生活保護を考え始めた理由

実家には頼れませんでした。
近くに、頼れる友人や知り合いもいません。
孤立している感覚だけが、日に日に強くなっていきました。

そんな中で、ふと「生活保護」という言葉を思い出しました。

ただ、すぐに行動に移せたわけではありません。
「若い人間でも、本当に申請が通るのだろうか」
そんな不安が、頭を離れませんでした。


メンタルクリニックで実情を伝えた|働きたいのに働けない現実

次の診察で、メンタルクリニックの先生に、実情を正直に伝えました。

働きたい気持ちはあること。
けれど、実際には働けない状態であること。
少しぼーっとしただけで、時計の針が2〜3時間進んでいるように感じること。
いくら考えても、この状況を打開する方法が思い浮かばないこと。

そして、
「このまま追い詰められたら、簡単な方、つまり犯罪に手を染めてしまうかもしれない」
そんな、今振り返るとかなり怖いことまで口にしていました。

それだけ、切羽詰まっていたのだと思います。

先生は、私の話を黙って聞いてくれました。
そして、その場で診断書を書いてくれました。

正直なところ、それが通常の診断書だったのか、
生活保護申請用の診断書だったのかは、記憶があいまいです。

ただ一つ確かなのは、
もしこの診察で診断書をもらえなかったら、
次の1か月を食いつなぐことはできなかっただろう、ということです。

診断書を受け取ったその足で、私は役所へ向かいました。

役所へ向かった日|生活保護の相談に行くまでの気持ち

なぜかそのメンタルクリニックは、自宅から数キロ離れた場所にありました。
電車を使うと一度乗り換えが必要で、所要時間は30分ほど。
口コミが良かった、という理由だけで選んだのだと思います。

その日は、電車賃も節約しなければならなかったので、自転車で来ていました。
診断書を受け取り、そのまま役所へ向かいます。

自転車に乗りながら、無心でペダルをこいでいました。
何かを考えていたようで、何も考えていなかったような、不思議な感覚でした。


生活保護の相談はどう進む?役所で感じたこと

役所に入ると、エントランスに総合案内の方が立っていました。
少し緊張しながら、「生活保護について相談したいです」と伝えました。

正直、もっと怪訝な顔をされたり、驚かれたりするのではないかと身構えていました。
けれど実際には、そういった反応は一切なく、
事務的で、かつ丁寧に案内してもらえました。

あまりにもハキハキと案内してくれるので、
「周りに、生活保護を申請しようとしていることが分かってしまうのではないか」
と、逆に変な心配をしてしまったくらいです。

案内された生活保護課は、階段で2階に上がり、
廊下を進んだ奥の方にありました。


生活保護課で聞かれたこと|申請時に確認された内容

受付で「生活保護の申請をしたいです」と伝えると、
すぐ横にある、パーテーションで区切られたスペースに通されました。

4人用のテーブルと、折り畳み椅子が4つ置かれた簡素な場所です。

対応してくれたのは、20代後半から30代前半くらいの女性職員でした。
19歳だった当時の自分からすると、かなり年上に感じられ、
不思議と「恥ずかしい」といった感情はあまり湧いてきませんでした。

相談内容は、想像していたよりも淡々としたものでした。

今現在、資産はあるか。
ローンの支払いはあるか。
生活保護を受けるための、最低限の条件を一つずつ確認していく、という流れです。

その中で、「援助を受けられる家族はいないか」という質問がありました。

家族は多重債務を抱えており、
兄も統合失調症を患っていて、とても援助できる状況ではないことを伝えました。

通常であれば、親族に援助可能かどうかを役所から確認するそうです。
ただ、それについては「絶対にやめてほしい」とお願いしました。


生活保護の申請が通った|手続きと振り込みまでの流れ

診断書を見せると、
「生活保護を受ける条件はそろっています」と言われました。

預金通帳のコピーを取り、
住所など必要事項の記入を終えると、
「後日、保護費と家賃相当分が振り込まれます」と説明を受けました。

拍子抜けするほど、話はスムーズに進みました。

そして翌日には、すでに振り込みが完了していました。

これで、もう後戻りはできない。
そんな感覚と、
「これで明日から生きていける」という、ほっとした気持ちが、
当時は同時に胸の中にありました。

生活保護は恥ではなかった|今、同じことで悩んでいる人へ

正直に言えば、
当時の私は、生活保護を受けることを
どこかで「恥」だと感じていました。

人生に汚点を作ってしまったような気がして、
今思えばどうでもいいような、
くだらないプライドが刺激されていたのだと思います。

それでも、今は思います。
当時の自分を、少しくらいは褒めてあげてもいいのではないか、と。

生活保護を受けなければ、
追い詰められた末に、犯罪に手を染めていた可能性もありました。

もし実家に戻っていたら、
うつが良くなることもなく、
ただ時間だけが過ぎていき、
廃人のようになっていたかもしれません。

私が育ってきた家庭では、
一般的な家庭で受けられるであろう援助を、
十分に受けられない環境でした。

だからこそ、
ほんの一時でも生活保護に頼ることについて、
誰かに文句を言われる筋合いはなかったのだと、
今でははっきり思います。

もし、今この記事にたどり着いて、
生活保護について悩んでいる人がいるなら。

「恥ずかしいから」
「若いから」
そんな理由だけで、
生きるための選択肢を捨てないでほしいと思います。

生活保護を受けることは、
諦めることではありません。
生き抜くための手段の一つです。

どうか、
生きることを優先してください。

※この記事は、私自身の体験をそのまま書いたものです。

当時の私と同じように、
・働きたいけど働けない
・生活が行き詰まりそう
・誰に相談していいか分からない
そんな状態の人に向けて、
参考になりそうな情報だけを、下にまとめています。

無理に行動しなくても大丈夫です。
「こういう選択肢もある」と知るだけでも、
少し気持ちが楽になることがあります。

・オンラインで相談できるメンタルサポート
・支援制度を探すための情報サイト

生活保護の申請後、実際にどんな日常を送っていたのかは、
次の記事で詳しく書いています。

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